広島の特産品の青木石に「いろはにほへと」の文字からはじまる格言を刻んだ石碑が島に43ヵ所建てられています。
毎年10月には、その石碑を巡りながら広島の豊かな自然や瀬戸内海の景色を満喫するウォーキングイベントも開催されています。

いろはコース


「一隅を照らす これ則ち国宝なり」
古い物や、国宝よりも、各自のもっている力を、世のため人のためにつくすように。


「六十の手習い」
60歳は、人生最後の出発点である。


「華のいのちは短くて」・・(苦しき事のみ多かりきと続いたら)
人の一生は花と同じように輝いている(咲いている)時は短く、苦しい時(花が咲くまで)の方が多い。


「忍乃一事は 達成乃門」
忍という事は、達成の為の必須条件である。


「本来無一物」
本来空であるから一物として執着すべきものなく、一切のものから自由自在になった心境。


「平和」
平和は極楽とちがって、人為半分と天意半分とで合成されるものである。


「共に歩む」
個人の力は実に弱くて小さいものである、もっと公明正大に共に歩もうという気持ちをもって共同体の中で自分の個性発揮をしようということ。


「治に居て乱を忘れず」
世の中がよく治まっているときでも乱れたときに対する心がまえを忘れないということから、平穏無事のときも万一のことを考えて油断しないこと。


「流水不争先」
常に流れている水は、われ先にと競争し合わないとい うことから、常に活動しているものは自分が一番になろうと周りと争うようなことはしない。


「ぬかづく心に神やどる」
額を地につける程の拝礼をすれば、その人の心に神がやどるということから、信心深い気持ちを持てば望みがかなえられるという。


「類は友を呼ぶ」
気の合った者は自然により集まる。似た者は自然に集まる。


「終り良ければ総て好し」
物事は最後の結末がいちばん大事なのであって、途中に何があろうと結末さえ立派にできていれば、人はよく評価してくれる。


「和」


「かわる世に変らぬものを」
世の中は、時の流れと共にさまざまに変化していくものではあるが、流行にとらわれて不易なものを忘れてはいけない。


「世の中は一長一短」
世の中には、良い事も悪い事もある。しかし、それは客観的なものではなく、その人の心の持ちようによって、良くもなり悪くもなる。自分の心の持ち方により変化するものだから、外物に惑わされる事なく自分の信ずる所を楽しむ人は、幸福であり、環境に左右されて自ら苦しむ人は不幸である。


「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」
はてしない欲望を見限り、不足を不足とせず満足して暮らせば、心が安らかである。又何事も不満ばかりを言わず、工夫をして実行するとできるはずである。


[歴史は神曲也」
ダンテの神曲はベアトリーチェによって導かれ、目的を達成しました。歴史は、世の中の一つ一つの出来事が音符となり、神がそれを連なり、一つの壮大な曲となすの意と考えられます。


「壮心千里」
壮心は勇ましくさかんなこころざしを意味し、千里は非常に遠い距離を表します。このことから、勇ましくさかんな心意気は周りの人々に影響を与え、その影響は非常に広い範囲に広がっていくことを表しています。


「拙いままにひたすらに」
拙い事、自分の得意でない事にも、ただひたすらに取り組んでいたらその努力が実を結び、自分の得意とする分野になるという意に取ることができます。(じぶんの苦手なものを努力により、得意なものに変えていきましょう)


「念力岩をも通す」
何事も強い意志の力をもってすればできないことはないという意味。中国の朱熹の言葉に「陽気発する処、金石亦透ける、精神一倒、何事か成らざらん」とある。「一心岩をも通す」「思う念力岩をも通す」などともいう。何か事に当たるときは、強い精神力を持ち続けましょう。


「仲よし」
人間関係のよいこと人間関係をよくするためには、お互いが相手の立場を理解しあい、尊敬しあうことが大切です。不平、不満、軽蔑の念を持ち、相手に接していたのでは、仲よくはなれません。相手を認める、尊敬する態度こそが仲よしになる秘訣です。仲よしの輪を広げていきましょう。


「磊」
磊(らい)という字の意味は、太っ腹という意味です。人間が人間として生きていくためには、気が大きく朗らかで小事にこだわらないことも必要な気がします。小事にこだわり過ぎると、どうしても他を批判しがちになります他に対してはおおらかで寛容の精神で接することが大切だということを教えてくれる一字です。


「昔を語るか そよぐ風」
心を無にして、浜辺にたたずめば、そよ風が昔を語ってくれるようだ。広島の海をながめていると、心が洗われ、心に新鮮さがあふれてくる。それと同時に、幼いころの思い出が蘇ってくる。人々を育んできた広島をそよ風が語ってくれる。なつかしいふるさと広島を。


「海広くして魚の躍るに委す」
天空海濶の語源になっている言葉のようです。度量が大きくおおらかなことを示しています。魚と海との関係は孫悟空とお釈迦様との関係を思い浮かべることができませんか。海のように広い心を持つことは、どれほどすばらしいことか考えさせてくれる言葉です。心を広くし、心にゆとりを持ちたいものです。


「能に誇れば功を失う」
自分の才能を自慢していると、その人にとって成功への道が遠のいていることになるということを表している言葉です。何事も成功に導くためには、多くの人の協力が必要です。自分の才能を自慢ばかりしていると、多くの人の協力を得ることはできません。協力を得るためには謙虚さこそ、功を成すために必要なものといえるでしょう。

おくやまコース


「おかげ様」
「おかげ様」を広辞苑で引くと、相手の親切などに対して感謝の意を表す挨拶語とありました。人間の存在を考えると、人間に住む場所を与えている地球、エネルギーの源としての太陽に感謝の念を抱くことを忘れ去ってはいけない気がします。人間の命を支えている植物や動物、さらには、自分を支えてくれている周りの人々への感謝の気持ちを持つこと。何事にも感謝一念で生きることの大切さを教えてくれる言葉ではないでしょうか。


「苦は楽の種」
この言葉は徳川光圀公遺訓の書き出しの言葉のようです。この言葉が示すように、現在の苦労は後日の幸福のもととなるものです。人間は苦労して自分自身を磨き上げる存在であることを確信できる言葉です。苦労を乗り越え新しい希望を持つことが大切ではないでしょうか。


「山の関所は箱根の山よ 海の関所が備讃瀬戸」
箱根の山は天下の険と歌われ、陸上の往来の難所でした。海の往来の難所はやはり備讃瀬戸。狭い海峡を多くの船が行きかい、今でも海上交通の難所です。広島沖にある波節の灯台は、多くの船の海上交通の指標であり、海上交通の安全を祈りながら、一人たたずんでいるようです。私たちも、人生における関所(課題)を、指標を頼りに安全に通り抜ける(解決する)ことが大切です。


「待てば海路の日和あり」
冬は北風が吹きつけ、海が荒れる日が多いが、ずっと続く訳ではなく、待っていれば、海がなぎ、船が出航しやすい日も訪れます。機会を伺い待っていれば、必ずチャンスが訪れるということではないでしょうか。待つことをひとつの楽しみとしてとらえ、日々努力を重ね、チャンスが訪れたとき、自分の持ち味を十分発揮できるよう準備をしておくことも大切です。

けふ
「今日を新しく」
一日一日を新しい気持ちで過ごすことは、長い人生を送る上で大切なことです。海老はめでたい席に料理としてよく出されますが、腰の曲がるまで長生きをという意味ではないようです。海老は脱皮を繰り返すため、常に新しい殻を身に付けています。海老のように常に新しくあれ、という意味をこめて、めでたい席に出されるようです。私たちも海老のように、自分自身の変革を行い、今日を新しく生きるための実践を続けることが大切です。


「光明遍照十方世界念仏衆生摂取不捨」
お経の一節で、阿弥陀仏の光明は全世界を照らし、念仏を唱えるどんな人も救いとる、という意味です。人は一人で生きているのではなく、多くの人の支えが必要です。また、食物を得るということは、他の生物の生命をもらうということです。毎日の暮らしの中で、謙虚にそんな感謝の気持ちを持つことが、自分の心の中に光明を宿すということではないでしょうか。


「笑顔は此の世の花」
笑う門には福来たると申します。笑顔は周囲を明るくし人間関係をなめらかにしてくれます。それに何より、笑うことは自身の健康にも良いそうです。内臓の働きが活発になり、新陳代謝もよくなると言われています。「笑う」という字には「花開く」という意味もあります。ニコニコと楽しく過ごし、暮らしの中に花を咲かそうではありませんか。


「天恵」
天は一と大の会意文字で、一番大きいものをさし、そこから、天は神、あるいは大自然を意味します。そして天恵とは、天が人間に与える恵み。光はもちろん食料である米や野菜、魚などはすべて日光や雨水、土、海といった大自然から得られるものばかりです。お天道様(太陽を神格化したもの)の恩恵という考えが、日本人の心には古くから引き継がれていると思います。毎日、天からいただいたものによって生きていることを感謝できるのは、幸福なことではないでしょうか。


「愛は世界を救う」
8月6日に広島市にある原爆資料館に行ってきました。 展示の一つに、壁面いっぱいに小さなパネルをびっしり貼り付けたものがありました。どこかで核実験が行われるたびに、広島市長が送った抗議の文書です。その多さに、腹立たしさと同時に何ともいえないむなしさを感じました。現在も世界中で戦争や紛争が起こり、おおぜいの命や幸福が奪われています。人の生きる権利を踏みにじる争いが、一日も早くなくなることを祈らずにはおれません。


「幸いは心の中に生まれる」
この碑文を読んで、ふっと心に浮かんだのは、ドイツの詩人カールブッセの『山のあなた』です。また、メーテルリンクの『青い鳥』でも、「幸い」は実はとても身近なところにあったのです。人は皆、幸福を求めています。豊かになれば幸福になれると信じられていたこともあります。確かに今は、冷暖房やコンビニなど、大変便利になりました。しかし、幸福感はそれに比例しているのでしょうか。幸福とは遠くにあるものではなく、碑文のように、自分が幸せと感じられるかどうかが大切なのだと思います。


「窮すれば通ず」
行き詰まってどうにもならなくなると、かえって困難を切り抜ける方法がみつかるもの。失敗は成功の元、必要は発明の母、と言い換えても良いでしょうか。嫌いになってあきらめてしまえばそれで終わりですが、そのときが辛抱のしどころであり思案の場なのだという教えです。

ゆめ
「夢」
夢を語った演説で私の心に残っているのは、アメリカののキング牧師のものです。彼は非暴力による黒人解放運動家で、ノーベル平和賞も受けました。その一部を紹介します。「私には夢がある。いつの日かジョージア州の赤土の丘の上で、かっての奴隷の息子たちと、かっての奴隷主の息子たちが、ともに兄弟愛のテーブルに着けるようになるという夢が。私には夢がある。いつの日か私の四人の幼い子どもたちが、肌の色ではなく人格そのものによって評価される国に住むようになるという夢が・・・。」この演説の五年後、彼は暗殺されますが、その願いは今も受けつがれています。何度も繰り返される「I have a dream」の句。夢を実現させるには、強い意志が必要だと思います。


「道ハ近キニ在リ」
これは中国の思想家孟子の言葉で、「しかるにこれを遠きに求む」と続きます。人の道はごく手近な日常生活の中にある。それなのに高遠な理論を追いがちである、という意味になります。ふと、このコーナーを担当することになった頃を思い出しました。いろは石に負けないような文章をと、つい意気込んだが、文才の無い悲しさ、そんなすばらしいものが書けるはずもありません。開き直って、自分の力の範囲でできるもので許してもらおうと考えることにしました。困難な場面に出会ったとき、小さなことからでもこつこつと努力を続ければ、解決につながる。そんな風に肩の力を抜けば、ずいぶんと楽になると思います。


「人生二度なし」
この言葉は、いろは石発起人の恩師である森信三氏の根本信条です。森氏は、実践を通して心理を追究した教育者、哲学者として知られ、戦前から戦後にかけて活躍しました。一日一日を大切に、この一瞬を充実したものにしているか自問してみます。今日は暑いから、やる気がしないからと、ついつい容易な方へ流される自分がいます。私のような凡夫にとって、自らを厳しく律することはなかなか難しい。森氏はまた、しつけの三原則を唱えています。ハイと返事をする、あいさつをする、はきものをそろえる、この三つのことさえできればいいそうです。そうすれば他のことも自然にできるようになる。難しく考えず、人間として基本のことを継続すればよいと解釈すると、私でも無理ではないかなと、気休めにはなりそうです。


「人は地に生き 天に遊ぶ」
今回のいろは石めぐりは、とても困りました。というのは、碑文の真意がつかめなかったからです。とりあえず、画家の谷角日沙春氏の言葉から謎解きが始まります。氏は老荘思想にも詳しいらしいので、老子の道徳経を調べると、「善く生きるとは水のようである。水は全ての生命あるものを育み、決して争うことがない。・・・人は地にあって善しとし、心は水を湛える淵を善しとし、・・・ただひたすら争わない。それによって何も失う事がない」とあります。生命を最も大切なものとして、無為自然に生きるという「道」について書かれています。生き方について、なるほどと思うことが数多くありました。私利私欲を捨てれば苦悩も争いも無くなる。こうなってくると、そんな境地にはなかなかなれそうもありません。せいぜいこのコーナーで、 私は「恥に生き ペンに遊ぶ」のが関の山のようです。


「物より金より心」
滋賀県の焼き物と言えば狸の信楽焼きが有名だが、八田焼きという小さな窯がある。窯元を訪ねた時、道が細く手前に車を止め歩いて上がることにした。ちょうどそこに軽トラのおっちゃんが下りてきて、窯元に行くのかと聞く。そうだと答えると、出かける様子だったがわざわざUターンし、車で付いてくるように言う。案の定、普通車では曲がりきれない。するとおっちゃんは隣家に走り、庭に駐車を頼んでくれる。このおっちゃんこそ、実は窯元の主人だった。作品も人柄通り素朴な物ばかり。安値なカップを一つ買ったところ、ぐいのみを一つ土産にと言う。おっちゃんが取りかけ、落として割ってしまった。それでは商売にならないだろうという心配をよそに、笑顔で袋に別のぐいのみを入れ、気をつけてと送り出してくれた。こんなささいな心のふれあいが、貧乏旅行の楽しみの一つなのである。


「盛年重ねて来たらず」
青春はニ度と来ないから、悔いのない生き方をしようという意味です。私事になりますが、この言葉をこの春広島を巣立つ中学生に贈りたいと思います。四月から二人には、これまでとは違った生活が待っています。少人数のため、できなかったこともあります。しかし、広島だからこそできたこともいっぱいあるでしょう。二人しかいないため、自分で責任を持ってやり遂げることの大切さをいろいろな場面で体験してきたはずです。そして広島には二人を支えてくれた多くの方が居て、応援してくれていることを忘れてはいけません。そんな君たちだから自信を持って大きな世界に羽ばたけると信じています。「盛年重ねて来たらず」これまでやってきたことを基礎に、可能性を伸ばすため、新しい自分にどんどん挑戦して下さい。


「住めば都よふる里よ」
住めば都を辞書で調べると、どんなに不便な環境でも住み慣れれば良く思えるものとあります。しかしこの意味にちょっと反論してみます。卒業式等で語り継がれる平井雅子さんの「ふるさと広島」という詩に「花屋はないけど野に咲く小さな花がある・・・」とあります。ここでは離島の不便さを少しも嘆いてはいません。それよりも島ならではの良さを全面に出しています。良いか悪いかは、心の持ちようでどちらにも変わるような気がします。不満に思う時、少し見方を変えてみてはどうでしょうか。